バスケット
1800年代制作(?)
ケンタッキー州、パデューカは
とても小さな田舎町ですが、
年に一度、一週間あまりは、人口が、2倍以上に膨らみます。
町に一つのホテル「ホリデー・イン」で、全米1と言われるキルト・ショーが開かれます。
ホテルの裏を流れる川からは観光船に乗ったお客さんが。
どの道からも車で、お客さんが。
近くの小さなホテルは、満室。
遠くの怪しいホテルまで客が、あふれます。
小さな町の店という店のショーウインドウは、家宝のまたは、自慢のキルトで、飾られます。
何度か、行きました。
ビーの仲間のヒーストリアンのベッツは、会場にテーブルを広げ、キルトの鑑定をしていました。
友人のミコは、北から来て
南から到着した私と合流した事もありました。
その会場で、買ったのが
このバスケット。
バッティングは薄く、
夏用ではないかと言われました。
地に使われている白地の布は、浴衣にそっくりです。
ベッツは、テネシー時代の仲間ですし
テキサスでは、キャサリン・マクレディにキルト、布、糸、などなどの歴史を学びましたが、古い時代は、どこも似たような布が、存在します。
カリフォルニアに住んでいた時
バックヤードをはさんだお向かいに
ドイツ系スイス人の家族がすんでいました。
フローニンとリタという女の子は
我が家の子供たちと同年齢
二人と娘は3人でヤードで、しょっちゅう遊んでいました。
フローニンは、何とか私の発音で、満足してくれましたが、リタは、わたしが、
自分の名前を言えないと、しょっちゅう「ルリリリタ」と、訂正をします。
時には、キスをする程私の唇に自分の唇を寄せて来て「ルリリリリタ」と。
センスの良いママが、3人分の服を買って来てプレゼントをしてくれ、3人お揃いで遊んでいました。
ある日の早朝、ベルがなり
出てみると、フローニンが、赤ちゃん程のみつ編みパンを抱かえて立っていました。
「ママが、赤ちゃんを産みに病院に行ったの。私を夕方まで預かって」
「リタは?」
「別の友達の所に、パンを持って行ったよ」
夕方、ママが、小さな小さな赤ちゃんを抱えてやって来ました。
「男の子よ。ウルフ」
アメリカでは、半日程で出産を終える事が、多いのです。
そこでは、殆どの人が、1、2年で母国に帰ったり、アメリカの別の地に移っていきました。
スイス一家も、暫くしてスイスに帰国しました。どうしているかな?
山形からの第2弾のフキノトウが、届きました。
沢山、天ぷらでも頂きました。
ごちそうさま。
ありがとう。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。