kobutayabutaのブログ

アメリカで、ギルド、ビーに10年参加。

シューフライ&4パッチ



1999年制作

ピンクの布を大量に買いましたので

こんなキルトを作りました。

仲間のローリィが、とっても欲しがりました。

「布を買ってくるから、作って」と、何度も言われましたが、美大出身のキルターのローリィに出来ない筈はありません。

断りました。


昨日に続き

カリフォルニアの話を、もうひとつ。

最初の家の隣は、ヨルダンから来た

ファリダ一家。

ファリダは、学校の先生をしていて

婚約時には、沢山の金(きん)をもらったと見せてくれました。

ヨルダンでは、金を送るのが、普通だと。

彼女は、彫りの深いとても綺麗なアラブの女性。

当時は、シャディと言う私の息子と同年代の男の子と、3人暮らし。

しょっちゅう、行き来して、おしゃべりしていました。

同じ英会話クラスに行っていましたが

二人とも、同じ理由で辞めてしまい

良く、おしゃべりをする事に

方向転換したのです。


ある日、ファリダも出産する事になり

朝、病院に向いました。

夕方

「帰って来たわ。見にこない?」

ドアを開けると、「はい」と

赤ちゃんを、私の手に渡しました。

びっくりしました。

フニャフニャで、私は二人の自分の子供でさえ、こんな状態で、抱いた記憶はありません。

ファリダは、私に赤ちゃんを、預けたまま「コーヒー入れるから」


彼女の入れるアラビアンコーヒーは、

とても美味しく、コーヒーを飲まない私の「2大コーヒー」の一つです。

コーヒーを飲みながら、いつものおしゃべり。

いきなり、赤ちゃんのおしめを外し

「割礼って知ってる?私達は、産まれてすぐするのよ。貴女の国は?」

私は、文字として知っていました。

ナチスが、ドイツ人とユダヤ人を見極める為に、チェックしたとか読んだような。

でも、初めての経験ですし、正直わかりませんでした。


彼女一家も、暫くして

シカゴに移って行きました。

メールの無い時代

ペーパーメールで、やりとりをしていましたが、今はファリダが、どこにいるのか、分かりません。


niceをして下さるブロガーさん。

私も一緒で、びっくりしました。

私は40歳まで生きられないと。

結婚、子供は無理。

飛行機も乗れませんと。

でも、みんなしました。

大きな代償は払いましたが

元気で

楽しく

過ごしています。

最後まで歩いて

「あー、楽しかった」と

言いましょうね。きっと。

多分、同じような方は

沢山いらっしゃるとも思います。


うなぎランチ。