クレイジー・アン
確か、友人の娘の結婚祝いに
差し上げたような。
1997年制作
バーバラ・イートンは
「裏生地は、モスリン(生成り)に決めてるの。
だってキルトラインが、何にも邪魔されず、ホワイトキルトみたいに綺麗だから」
私は、モスリンを巻きで、買ってました。15〜30ヤード。
別の日
ジェーン・ワーグナーは、
こっそり耳元で
「モスリンは、表にあまり使わないのよ。キルトがダル(バカ、つまんない)になるから」
二人の忠告は守りました。
特に、ジェーンのアドバイスは
今でも、わたしの指針です。
ジェーンは、最も尊敬する仲間です。
78歳くらいでしたか、ジェーンは、癌に侵され、髪を失いました。
おしゃれな彼女は「カツラも考えたけど、止めた」と、バンダナが、トレードマークになりました。
その後、我が家で仲間が集まった時
ジェーンの送迎をしたリネッタが
「ジェーン、とても悪いの。ホステスさん、気をつけて上げて」と、耳打ちしました。
料理上手でもあったジェーンは、その時とても美味しいキッシュを持ってきましたが、なぜか、パイ皿を忘れて帰りました。
しばらくして、パイ皿を届けに、
ジェーンの家に行くと、もう彼女はいませんでした。
入院して「もう、治療法はありません」と言われ、ケアホームへ移る事になりました。
同居する娘が「お母さん何を持っていく?キルトの本?落語(アメリカコメディ)のCD?」
「何も要りません。私は長く生きるつもりはありません」
ジェーンは、それから食べ物も水分も拒否して、ケアホームに移る前に逝ってしまいました。
娘が、私達に逐一報告をしました。
カッコ良かったです。
財布は持たず、ジーパンのポケットに、10ドル札を10まいくらい、裸で突っ込んでいたジェーン。
ジャーナリストとして、ニューヨーク、パリ、プエルトリコと移り住み、何度も結婚したジェーン。
「本当は、何度結婚したの?」と聞くと「貴女より、少し多いだけ」とニヤッとしたジェーン。
何か変わったものの大好きな
好奇心の強いジェーンは、
とても、私を愛してくれました。
飛んでいけ、ジェーン。
2000年制作
ブログをしていて
嬉しかったこと。
今まで、二人の方が
「止めていたキルト作りを、再開します」って。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。