kobutayabutaのブログ

アメリカで、ギルド、ビーに10年参加。

クリスマス・エクスチェンジ

エクスチェンジ・キルト

「クリスマス」

この時の共通布は

私がコーナーストーンに使っている、やや大柄のプリント。

1997年制作

テーマが、クリスマスですから

この時は、小ぶりに作りました。


アン・ロングは、当時80代後半。

一軒家に、一人で住んでいました。

私とアンは、親子程の年齢差がありましたが、何となく気が合い

ビーの帰りに、どちらかの家に、立ち寄ったり、映画を見に行ったり、仲良しでした。

多分、年齢のせいもあり、ゆったり話してくれましたし、ニューヨークのロングアイランド育ちのアンに、

南部訛りが無く、同じくロングアイランドにいた私には、アンの英語は、

耳に気持ち良かったのだと思います。

アメリカにも、方言はあります。


小学校時代を、ロングアイランドで過ごした娘は、

後に日本で、英語を教えて頂いたアメリカ人に「あら、この子ニューヨーク弁を話すわ」と、言われました。


テネシーに住み始めた頃の私は

南部弁が、耳に入らず困った事があります。

大きな違いは

東部の人が「A」をエイと言うのに対し

南部の人はィアって、言うんですよ。

「Paper」ペイパアーが、通じないのには、びっくりでした。

当時、スーパーのレジでは

「ペーパー・オア・プラスチック?」

つまり、紙袋ですか?ピニール袋ですか?と、必ず聞かれていましたから。



アンの話に戻りましょう。

アンは、ある日

「家のペンキを塗り替えようと思うの」

「どんな色に?」

「赤。ずっと憧れだったの。昔の田舎の納屋の様な家に住むのが。私も、年を取ったし、多分この家の最後の塗り替えになると思うの。最後は、好きな色にしたいじゃない?」


しばらくして、アンの家は

焦げ茶から、渋い赤に変わりました。

そして、数年後

アンは、旅立ちました。

90歳の誕生日には、元気で

娘の家で、盛大なパーティーが、開かれ、私も行きました。

「シカゴからも、ニューヨークからも友人が来てくれ、とっても嬉しいわ。でも一番遠くから来てくれたのは、日本から来てくれたまこよ。」と、みんなに紹介してくれました。


そして、1年経たない間に

遠く、遠くに逝ってしまいました。

アン!また、会いましょうね。


国会で、辻元清美さんが、

岸田総理に

「様々なxx、様様なxx」と言うのは

今日は、使わないでください。

様々なと、言う時は、ごまかしと逃げの時が、多いと思いますから。

総理は、それでも何度か使い、謝っていました。

元々、好き嫌いのある主人は

食べられる品が減り

似た料理の繰り返しになっています。

美味しいって、食べて欲しいから。


イチジク入りの

お好み焼きソースが、届きました。

また、美味しいもの作りましょ。