kobutayabutaのブログ

アメリカで、ギルド、ビーに10年参加。

ナバホ・ウィービング

1970年代最後の頃、私は、ニューヨーク、ロングアイランドのポート・ジェファーソンと言う小さな港町に住んでいました。ナバホ・ウィービングと言う織物を学び、空いた時間は、海に突き出た桟橋で、魚釣りをしていました。

魚釣りが、好きだったと訳では、ありません。代理の釣り人として。

そんな折り、町を歩いていると、銀細工の店の壁に、大きなウィービングが、掛かっているのを見つけ、外から覗いていると、中からオーナーが、手招きをしました。真っ白な肌に真っ黒な髪、目鼻立ちのハッキリした綺麗な女性で、ジルと言いました。私は、スペイン系、メキシコではなく、ヨーロッパのスペイン系のかたかな?と、思いました。

「私は、今、そこの大学で、ウィービングのクラスを取っているので」と言うと「これは、私の家族が、作ったの。今は、大きなトラック2台分でも買えないわ」

それから、私は、ジルのお店にしばしば行くようになりました。時々、品の良い女性が、編み物をしながら、加わりました。三人で、お喋りしていたある日、「アメリカ人は、三人集まれば、誰かが、離婚経験がある」と。

私は、「あら、私達は、丁度三人。でも、みんな幸せな結婚をしているって珍しいのかしらね。まあ、私は、日本人だけど」二人が微妙な反応をしました。

ジルが、席を立つと、女性が「あのね。ジルは、離婚しているの。そして、私は、その時の調停委員なの。ジルは、才能もあり、美人だけど、ネイティブなの。大学で、白人の裕福な男性と、恋に落ち、結婚したの。男性には、問題は、なかったけど、その家族が、ジルを受け入れる事が、どうしても出来ず、ジルは、別れたの。時々、此処に来る男性が、いるでしょ。あの人は、今のジルの彼。私は、彼に、ジルに近づいて欲しくないのよ」

あー、私は、ジルが、ネイティブと気付く筈だった。「銀細工とウィービング」!

複雑なアメリカ社会の一片を見たような。

私達は、それからも、何にも無かったように、私が帰国するまで、お喋りを続けました。


何年も後、テキサスの「MATCH-A-PATCH」でも、離婚したひと、再婚した人は、半数程、いたと思います。