Shoo-flyとGrandmother-flowers-garden
どちらも、以前にアップしたものですが、ブログ「はじめまして」の写真が、消えているそうで、再登場。
今年、1月に完成したもの。
小さな三角は、1インチのハーフ・トライアングルです。四角は、確か2、5インチ・スクウェア。
私と英語2。
アメリカの最初の地は、カリフォルニア。人種のるつぼ。
無料の英会話スクールに、通い初めましたが、先生以外は、英語を話さない国の人。
数人の生徒は、それぞれ母国が、違い、時々、先生が、混乱して「ちょっと待って。英語で、どう言い回したかしら」と、ぶつぶつ一人言。「そう、こうだったわ」
すぐに、辞めました。
結局は、イギリスでしたように、友達を作ってお喋りをする事。
それと「イングリッシュ・インアクション」と呼ばれるアメリカ人による個人指導。
厳格な老婦人、ビー・イズラエル。
何年も後、彼女は、日本に、会いに来てくれました。
私は、ヨルダンで、学校の先生をしていたファリダと、親しくなり、時間が、あれば、共に時間を過ごしました。
彼女が、出産をした時も「今?帰って来たの。赤ちゃん、見に来て」出産後、数時間。彼女の家に行くと、ふにゃふにゃの赤ん坊を、ポイと渡され、「コーヒー、入れるわ」
彼女の入れるタルキッシュ・コーヒーは、紅茶統の私も、美味しいと思いました。赤ちゃんのオチンチンも、見せられ「私達の宗教では、かつれいするの。貴女の国では、しないでしょ」
ナチスの、ユダヤ人検査の事を、思い出しました。
同じヤードに、シリアの家族がいましたが、ファリダ家族とは、出来るだけ接触を、避けていました。
私達のヤードには、イスラエルの家族が、いましたが、とても強靭な心を持っていました。小さな子供達も。
フローニンとリタ、二人の娘を持つスイス家族は、ある朝、娘が、大きな三つ編みパンを抱いて、我が家のドアをノックしました。「ママが、赤ちゃんを産むため、病院に行ったの。夕方まで、私を預かって」
産まれて来たのは、男の子、ウルフ。
もう一人、アメリカ人と結婚したヒロコさん。
彼女は「全く英語が、話せないまま、アメリカに来て、暫くは彼の友人たちに、私は、障害者と思われていたのよ。パーティーでも、寝てたの。でも、ある日突然、赤ちゃんが、話初めるように、言葉が判り初め、会話が出来るようになったの。貴女も必ずある日突然が、来るわ」
でも、私には、今も。「ある日」は、来ていない。
たた、カリフォルニアから二年。当時の友人からの電話にでたら「あら、貴女、電話で、話せるようになったの?あの頃は、電話が、鳴る度怖がっていたわね」
テキサスを、離れる頃は、喧嘩も出来るようになっていました。
みんな、友達のお陰です。
みんな、みんな人との繋がりから。
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