kobutayabutaのブログ

アメリカで、ギルド、ビーに10年参加。

私の宝


アメリカには、どんな小さな町にも、キルターがいて、キルティング・ビーが、あるような気がします。

そして、各州には、州のキルトブックがあり、小さな州は、薄く我がテキサスは、2冊にまとめられ、仲間も収録されていました。

アラスカのそれは、毛皮のパッチワークが、入っています。

テネシー時代は、息子が、高校生。

私の教授で、運転免許証を頂きました。経費、7ドル☺️

彼は、運転したい時期なので、休日は、良く二人で、小さなキルトショー巡りをしました。主人は、勿論、ゴルフ。

そんなある日、小さなショッピングセンター(日本の道の駅くらい)の玄関先に、小型トラックを止めて、母娘が、3枚のキルトを広げていました。

聞いてみると「100歳に近いおばあちゃんが、作っているので、私達が、売っています」

勿論、一枚を、買いました。

質素な布、粗い縫い目、しかも、「アップル・コア(リンゴの芯)」と呼ばれるカーブの部分は、端にいくと、何故か直線に。

「あー、キルトを作るって、こんな事なんだ」キルトの原点を、知らされた思いでした。

私は、テネシー時代は、なかなか自分が、「何を作りたいか」が、見えず、自分のキルトが、出来ませんでした。

そして、アンティークとも言えない「古いキルト」を買い、布、縫い目、batting(中身)等など、自分の目で、手で、感じる事からはじめ、次に誰かが、残したトップと呼ばれる表部分を買い、そこから、キルトを仕上げる。そして、次は、やっぱり、誰かの作った、ブロックを買い…と、自習を沢山しました。

アメリカでは、日本のように手取り、足取りキルト作りを、教えていないと思います。

最初の最初、キルトショップ(カリフォルニアでしたが)のキルトクラスをとった時「色は、どう合わせたら」と聞く私に「色?貴女の好きな色を集めて来れば、合わない訳はないわ。そして、貴女のキルトになるのよ」 


そういう学びの原点が、このキルト。

私の宝です。

Winddmill


「ウィンド・ミル」

メアリー・メイヤーは、私と同時期に「MATCH-A-PATCH」のメンバーになりました。

カンザス出身。カンザスは、南部キルトの宝庫の1つで、珍しいパターンが、見つかったりしますし、地味ですが、飽きない素朴なキルトとキルターが、います。

彼女は、若くして夫を亡くし、チーズ屋さんをしていたのち、再婚して、テキサスに、やって来ました。

そして、私の帰国前に、北のモンタナに「ついのすみか」を、建て引っ越して行きました。

「どうして、そんな遠くに行くの?冬、冬、冬そして、ちょっとだけ春のモンタナに」と言う私に

「夏、夏、夏ちょっとだけ秋のテキサスに飽きたの」と、笑いました。

私達、そして、アン・ロングは、あまりに仲良しだったので、書けないわ。

書きたいけど、書けない😭

赤が、好き


「MATCH-A-PATCH」年始の「履歴書(アンケート)」の中に「好きな色」というのが、ありました。

最初にアンケート用紙が、回って来たとき、考え込んでしまったのが、この質問。

あの色、この色が、浮かびましたが、最終的に「赤」と書きました。

日本に居たとき、こんなに突き詰めて、色を意識したことが、あったかしら?と。でも、多分、そこが、出発点。

ナンシーは、ミセスパープルと、呼ばれるように、身の回りのモノは、紫で溢れていますし、バーバラ・イートンは、逆に緑が、大嫌い。緑は、使わない。で通しています。

たまに、彼女が、緑の布を使っていると仲間はいち早く見つけて「バーバラ、それ緑じゃない?」バーバラは、答えます。

「みなさんには、緑に見えるかも知れませんが、私には、これは、ブルーに見えるのよ」と、澄まして答えます。

それほど、みんなは、色にこだわりがあるのでしょうね。

赤が、好きと言った私には、誕生日に沢山の赤い布が、届きました。


この「string・star」は、キャサリン・キスカットが、starの部分をプレゼントしてくれ、私が、赤で仕上げました。

裏の2つのstring・starは、ドット・デイビスのサンプラー。

私は、今でも、赤が、好きですが、キルト作りに「嫌いな色」は、持たないようにしてぃます。

また、そういう訓練も、ビーでは、学びましたよ。