kobutayabutaのブログ

アメリカで、ギルド、ビーに10年参加。

大変だったトキ

今日のキルト

このキルトと同じパターンです!

母は料理好きでした。

新しいレシピは、直ぐ試しました。

お向かいに住む

ドイツ人のベルタさんとも

仲良くなり、

まだ当時は、日本で馴染みの無かったシュトーレンも、毎年作っていました。

ベルタさんは、留学中の日本人研究者と恋に落ち、戦前(?)戦中(?)戦後(?)日本に来ました。

同盟国とは言え、ヨーロッパ人のベルタさんは、大変だったと思います。

ベルタさんも、母も3人の娘を育てていましたし、母も転勤族の妻として

知らない土地で、暮らしてきましたので、二人は、気が合ったのでしょう。


闘病中だった私に、

ベルタさんは、ドイツから持ってきた

巨大なキングサイズのベッドをプレゼントしてくれました。

家に入れるのは

とても、とても大変でした。

多分、そのベッドは

空き家になった実家にまだあるでしょう。


夫は、学生時代から

我が家に、良く遊びに来ました。

そして、母の手料理に、つかまれ

父の囲碁相手になり

いつの間にか、家の子供に

なっていました。


にも関わらず

結婚には、両家から猛反対をされました。

私が、健康ではなかったから。

私は、入院費と葬儀代を持たされ

結婚しました。


夫は、そのまま、我が家の息子のような存在になり

私は、あんなに反対された

夫の家の娘のように溺愛されました。

夫の家には娘がいませんでしたから。


こんなに長く生きるとは

思ってもいませんでした。

二人の子供に恵まれるなんて

思ってもいませんでした。

主治医からは

「40歳までは、生きられない。

結婚も、まして子供を産むなんて無理でしょう」と言われていました。


人生は、本当に不思議なモノです。


ランチはトーストにしましたが、

同じFAUCHONの食パン

前回と今回の大きさの差に

びっくり。


久しぶりに友達が来て、

雨の振り始めに、慌てて

帰りました。






夕ご飯

メインは、かれいの煮付け。

茶色のご飯

美味しゅうございました。

日曜日・真夏日?

今日のキルト



かつては、こんな食事が

当たり前でした。

今は、ロールキャベツも、納豆さえ半分になりました。

作るのが億劫ではなく

食事を共にする人が、食べなくなりました。

いつも通り作ると、残してしまうのです。


豆を炊きました。

ランチは、ネットで見た

簡単、新しいレシピで作ってみましたが、私達の好みには、

なりませんでした。

昔からの、日本食の、家庭料理が

一番のようで、

いつも同じものになってしまいます。


それで良いのだ!

と、思うようになりました。

私は、昔、10年間「今日の料理」を購読していました。

そして、そこから、自分なりの「ファイル」を作りました。

例えば「鮭」の項目に

焼く、煮る、揚げるに分類して

「今日の料理」の本の

年、月、ページを書き出し

ほぼほぼ、試作して、自分に合う調理法に★を付けました。

全く同じ料理名でも、様々な方法がありました。

全く、調理経験のない私が、独学で学ぶ一手段でした。

10年経ち、何とか料理の基本が、解ってきて、

少し、幅も広げ、

あちらこちらで、人の作る食事をし、


そして、今

とても、シンプルな日本のご飯に、

戻ってきました。


この食事で

最期の日まで、楽しめたら良いなと

思っています。


ほうれん草と生しいたけのおしたし。



フィレ麹焼き。

玄米ご飯

ごちそうさま。

薄曇り、連休始まる

鴨川床料理

もうすぐ、始まります

今日のキルト

もう一つのベィビー・ブロック

こんなのもあります。


新聞から




薄曇りの連休の始まり

高齢者になっての私のモットーは

「労を惜しまない。メンドクサイを私の辞書から外す」

目の前の事は、楽しく、楽しんでするようにしています。

まず、今朝は、朝4時起床

6時まで、ズボンの丈を直し

ポケットを付けました。

まだ、「お直し」を待っている人達がいます。

午前中は、庭仕事、すこし。

こんなお客様もいました。


そして、

娘の来る日

台所は、おまかせ。

助手になり、シェフの言いなり😋

後はチクチク。


ランチ

子持ち鮎。

いつもは、琵琶湖きむらのを

お正月に戴きますが

今回は、岐阜産

ちょっと変わって

美味しゅうございました。


夕ご飯

ごちそうさま。