Dressden-Plate
「ドレスデンのお皿」
キルトフェアで、キルトトップとして買いました。
持ち帰ると、フィードサックのアップリケが、とても不味く、しわやタックが、たくさんありました。
仕方なく、全てほどき、白い布を、一部取り替えたりしたら、少し小さくなり、
ボーダーの布を買いにキルトショップに。
フィードサックは、見ているだけで、たのしい。
一つ、似ているフロックが、売っていたので買いました。
クッションにして、お揃いで、ベッドに置いたりします。
ボーダー布を買いに行き、キルトショップのオーナーと、あれこれ相談していたら、一人の女性が、声を掛けてきました。
「貴女、日本人?」
彼女は、スーザン、オッコーナー。
日系2世?三世?の私達と同年輩。
「今日は、義母の付添で来たの。
私もちょっと、キルトも作るけど」
彼女は、ハワイ生まれのカリフォルニア育ち。日本語は、全く話せないアメリカ人なのに、幼い頃は、収容所にも、入れられていたと。
私達は、とっても気が合い、ずっと友人です。
キャピキャピの小柄な人ですが、美人で、カリフォルニア時代には、テレビドラマにも出ていたとか。「なんとか77」とか、言ってましたけど。
お母さんは、ピクチャーブライトで、ハワイに渡って来たそうです。
彼女の人生は、文字通り波乱万丈で、私達が、出会ったのはテキサスですが、今は、ハワイに戻り、自分の日本人ルーツ「秦氏」を訪ねて、日本にも来ましたよ。
本当に、「おちょやん」も言ってましたが、「人生、シンドイけど、面白い!」
アメリカに、住んでいると、時々「日本人ですか?私も日本人」とか「母が日本人」という年輩の方に、声を掛けられます。
戦後、アメリカ人の夫とアメリカに来た人や、スーザンの母親のように、移民で、渡米した方たちは、日本に対する思いが、とても強く、ある強い孤独感をもち、時間が止まっている事が多いように感じました。
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